母の思い出

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    今日は、母のことを書きます。

    私の母は、明治41年生まれ。
    92歳で天国へ旅立ちました。
    母の口癖は、もっと勉強したかった。大学へ行きたかった。
    男、女問わずにバリバリ仕事をしたかった。
    でも、おじいさんは学問より躾を、と、お茶、お花、裁縫などを習わせたようです。
    家には、シンガーミシンがおいてありました。
    当時は、そんな立派なミシンがある家は、なかったようです。

    でも、母は、そんなことよりも社会に出て仕事をしたかったのです。
    それも叶わず結婚して、8人の子供を出産しました。
    私は、その1番末っ子です。
    長男とは、22〜23歳離れています。
    もちろん、兄弟とはいえ一緒に住んだことはありません。
    兄は、私が生まれた時はすでに自立して家を出ていましたので。

    母は、最後の子供である私に、自分の夢を託したそうです。
    お腹の中にいる私にいつも話かけていたようです。
    この子は、「ようきれるように」「頭が斬れるように」「世の中の役に立つ男の子でありますように」と。
    その、強い思いを毎日の生活に取り入れたのです。
    自分の口に入る食べ物を切る時は、全て「4切れ」にしたそうです。
    この子は、「ようきれるように」「頭が斬れるように」「世の中の役に立つ男の子でありますように」と念じて。

    この話は、私が40歳になるときに母から聞かされました。
    そのときに、私は子どもの頃から意味も無くとにかく4と言う数字が好きな理由がわかったような気がしました。
    今の私は、母が叶えられなかったことをやっているのだとつくづく思います。
    だから、これほど仕事が好きでいつも楽しくいられるのでしょう。
    「黄瀬さんのその判断力は男性よりも男性らしいね。」と言われる事がよくあります。
    母は、女性が社会で活躍することを許してもらえなかったので最後の出産を男であるようにと強く念じたのです。
    予想外の女でしたが、母の思いがしっかりと植え付けられて生まれてきたようです。

    男性らしい判断力は確かにそうかもしれません。
    頭がよく斬れるには至っていませんが、人様のお役に立ちたいと願う心は人一倍です。
    これだけは、しっかり母の血を受け継いでいくつもりです。
    あなたの子どもで良かった。

    ありがとう。母さん。
    私は、あなたの子どもであることに誇りを持っています。
    あなたの教えを娘にも伝えていきます。

    「親の背中を見て子どもは育つ」
    これが、何よりもの教育だと思います。

    胎教とは、本当にすごいですね。
    科学では、証明できないことが世の中にはあるんですよね。
    そのことのほうが大切なことだったりして。


    最後に、母の詩を紹介します。

    「移植せし 花はひと時萎れても 大地の恵で個性を活かす」

    これは、私が北海道から京都へ転勤する時に母がつくったものです。
    私の大切な宝物です。

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    黄瀬紀美子

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    黄瀬紀美子(きせきみこ)Kimiko,KISE
    有限会社アイ・キャリアサポート代表取締役。「共存・共生」をポリシーに、人材育成・雇用支援事業を通じて、柔軟なヒューマンネットワークを築き、「産・学・民」の共同事業や、組織の枠にとらわれない多彩な活動を展開。

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